東大寺⑧ 鐘楼ヶ丘

奈良が大好き、キタローです。

大仏殿を訪れた後は、大仏殿の東側から猫段経由で鐘楼の丘へ登って行きましょう。

猫段

「この石段で転ぶと、来世は猫になる」という言い伝えがありますから、猫になりたくない人は気を付けて歩きましょう。

                       出典:Y!マップ

鐘楼(国宝)

鎌倉時代初期に、重源上人を継いで大勧進になった栄西禅師(※)が再建したもので、大仏様を基本に禅宗様的要素を加えて作りました。屋根の反りがその豪快さを強調しています。なお、初代は989年の台風で倒壊しました。

                                      

(※)  1141年-1215年 比叡山延暦寺で天台宗の教学と密教を学ぶ。入宋し、臨済宗を学び、日本で臨済宗を開く(聖福寺 (福岡市)、建仁寺)。重源が務めていた東大寺勧進職を継ぐ。

梵鐘(国宝)

奈良時代の作で、752年の大仏開眼会の前日4月8日に鐘楼にかけられたといわれています。制作に使った銅は、大仏を造った際に余ったものを使用したとのことです。東大寺では通常「大鐘」と呼ばれていますが、我々一般人には「奈良太郎」という名で親しまれており、三名鐘、三大梵鐘の一つです。

高さ:3.9m 内径:2.7m 重量:26t

三名鐘: 姿の宇治平等院、声の三井寺、勢いの東大寺
三大梵鐘:知恩院の大鐘、方広寺の梵鐘、東大寺の梵鐘

奈良太郎の音を聴きたいですよね。大丈夫。ちょっと遅い時間ですが、毎日、20時に18回(始めと終わりの2回ずつは捨て鐘として扱うため、実質14回)撞かれます(お水取りの期間は19時)。また、除夜の鐘は先着800名程度参加できますから、トライしましょう。

              

撞木が梵鐘に当たるところが、撞座から下にずれているのはなぜ?

右上の梵鐘の写真を見ると、撞木(しゅもく)が梵鐘に当たるところが、梵鐘の撞座(つきざ)から下にずれていますね。なぜ、ずらしているのでしょう。

「答え」鎌倉時代の力持ちの武将・朝比奈三郎がこの鐘を思いっきり撞いたところ、三日三晩鳴りやまなかったので、撞座の下を撞くようになったという説や、国宝に指定されてから撞座の模様に傷がつかないように撞座の下をつくようにしたという説がありますが、真実はどうなんでしょうね。

完成した鐘を実際に撞いてみると音が良くないことが分かり、音色や響きがよいところを探したら、撞座より少し低い位置がよいということがわかったという結果ではないでしょうか。奈良時代は梵鐘制作の経験がまだ少なかったですからね。

なお、梵鐘の内側に、仏様がいらっしゃいますよ。探してみましょう。

俊乗堂

もともとは重源上人が建てた浄土堂がありましたが、1567年の三好三人衆・松永久秀の戦いで焼失。江戸時代に東大寺を再建した公慶上人が重源上人の偉徳をたたえ、元禄年間に建立しました。

堂内には、以下の秀逸な仏像が安置されていますが、公開は年二回のみ。12月16日の「良弁忌」には、俊乗堂の各仏像の公開に加えて、三月堂の執金剛神立像(国宝)、開山堂の良弁僧正坐像(国宝)も公開されますので、ぜひご参拝ください。

仏像  
・重源上人像(国宝) 木造 肖像彫刻の白眉。快慶作か。
・阿弥陀如来像(重要文化財) 木造 快慶作  
 この阿弥陀如来像は「釘打の弥陀(釘打ち阿弥陀)」 ともいわれていて、次のような言い伝えがあります。①親鸞聖人が南都で修行されたときに、この像を深く信仰され、京都に持ち帰ろうとしたので、困った東大寺の僧たちが釘を打ち付けて動かないようにした。反対に、②この像は親鸞聖人が快慶に作らせたものであったが、故あって東大寺に祀られることになった。しかし、この像は親鸞聖人の下に帰りたいとして動きかけたので、東大寺の僧たちが釘を打ち付けて動かないようにした。    
・愛染明王像(重要文化財) 木造 平安時代

行基堂

もともとは、俊乗堂で重源上人像(国宝)が安置されていました。五百年遠忌に際し現俊乗堂が新築され重源上人像が移られた後は、行基堂として江戸時代に作られた行基像(※)を安置するようになりました。
(※)行基菩薩の墓のある生駒市・竹林寺像(鎌倉時代13世紀)の模刻像

竹林寺の行基像と行基墓

念仏堂(重要文化財)

もとは地蔵堂といわれ、鎌倉時代の建物であるが、錣葺(しころぶき)の屋根は元禄年間に改修されたものという。こちらは入堂できますから、左の事務所の方に一言声をかけて、入らせていただきましょう。素晴らしいお地蔵さんにお会いすることができます。

仏像 
・地蔵菩薩像(重要文化財) 木造 像髙221cm 1237年 仏師康清作(運慶の孫?)