奈良が大好き、キタローです。
東大寺は、正門である南大門からスタート。
南大門は東大寺の正門です。奈良時代の東大寺創建時に建てられましたが、平安時代の962年に台風で倒壊。現在の南大門は鎌倉時代に入った1199年に、重源によって再建されました。南大門は、間口29m、高さ25mの日本最大の山門で、国宝に指定されています。この門を支えるために、直径1m長さ21mの柱18本が使われていますが、樹齢は800年とも2000年とも言われ、たいへん貴重な木材が使われています。
目次
倒れにくい山門にするためにどうした? (創建時の山門は風で倒壊)
「答え」 「大仏様 だいぶつよう」で建てた。
重源が宋より持ち帰ったと言われる建築様式です。
962年の台風は強烈で、例えば、東大寺末寺である新薬師寺では金堂以下の主要堂宇が倒壊し、以後、復興はしたものの、往時の規模に戻ることはありませんでした。したがって、南大門を再建するにあたっては、同様の超大型台風の来襲時にも耐え得る建物であることが求められました。
奈良時代の建物は横力をあまり考慮しない、「柱」だけで建つ構造だったので、風に弱かったようです。そこで大仏様という建築様式が導入され、柱の列を横に通して柱を安定させる用材を多用する貫工法が使われました。このおかげで、1199年に再建されてから800年が経った今でも南大門は立ち続けているわけです。
「大仏様」って、なかなか難しくて、よくわかりませんでしたが、みたかの建築さんの「日本建築史⑥ 大仏様建築」をYouTubeで拝見して、素人の私でも、理解が進みました。
①柱を立てる。
②柱の側面に組み物(挿肘木 さしひじき)をブスブス挿す。
➂柱の挿肘木と隣の柱の挿肘木とを長い棒(通肘木 とうしひじき)で結ぶ。
④柱間は貫(ぬき)を多用する。
これで、ぐらつきが減り建物が堅牢になるとともに、使用する木材の本数も減るので部材の調達負担が小さくなり、工期も圧縮できました。大仏様としては、隅扇垂木、円形断面虹梁などの特徴があるようですが、詳しくはみたかの建築さんの「日本建築史⑥ 大仏様建築」でご確認のほどを。
南大門は何階建て?
「答え」 一階建て。外から見ると二階があるように見えますが、門の下から見上げると、屋根そのものが見えますので、二階はありません。
令和の今、同じ山門を作ることはできる?
「答え」 立てることはできないでしょう。
令和の今も立派な宮大工はおられますし、重機もありますから、技術的にはできます。しかし、直径1m長さ21mの柱18本の調達はできるでしょうか。それは無理なので、同じ山門を作ることは難しいですね。今の南大門はほんと貴重な建築物なので、みんなで大切にしたいものですね。
なお、鎌倉時代に建てるときは、山口県から木材を取り寄せています。800年前でも近畿圏ではこのような大木はなかったということですね。
丸柱の作り方はご存じですか? ①原木から四角柱を作る ②四角柱の角を削って、八角柱にし、十六角柱にし、三十二角柱にし、鉋をかけて、丸柱にする の順番で作ります。tumiki clubさんの「宮大工 丸柱加工 「鳥居」」というYouTubeを拝見すると、実際の作り方がわかります。
この作り方で木の断面図を合わせると、下のようになりますね。
では、南大門の直径1mの円柱を作るには、直径何メートルの原木が必要でしょうか?
数学上は、ピタゴラスの定理を使って、1.414mです。(1^2+1^2の平方根) でも、原木は下の方は太く、上の方が細くなるのが一般的だから、上の方で1.414m確保できる木であることが必要。木は真ん丸ではないこと、必ずしもまっすぐではないことも考慮して、直径1m、長さ21mのまっすぐな柱を取れる原木といったら。。我々が触ることがことができる下の方の太さは、どれくらいになるのでしょうね。それが18本必要なわけです。
南大門の柱にあるたくさんの穴は何?
「答え」 鉄砲玉が当たったところ。
戦国時代に発生した三好三人衆と松永久秀の戦いで、大仏殿他が燃えてしまうという大惨事がありましたが、その戦いで使われた鉄砲玉の痕が南大門に残りました。鉛の鉄砲玉が残っている穴がありますから、時間があれば探してみましょう。
南大門には扉はあった?
「答え」 扉はありました。
藁座(わらざ)という扉の軸受けが残っていますので、再建当時には大きな扉(桟唐戸 さんからど)があったと考えられます。
今の南大門は何代目?
「答え」おそらくは、三代目。
初代・・・東大寺創建時。平安時代の962年に台風で倒壊。
二代目・・・1161年に南大門再興が具現化。1180年の南都焼討ち時に南大門が焼けたとの記録はあり ません。1190年大仏殿上棟の際、後白河法皇は南大門から入御、1195年の大仏殿供養の際、関東武士の射手が惣門(南大門)の左右脇に列座と伝えらているので、小さいかもしれないが、1161年以降に再建された門があったと考えられます。なお、金剛力士像は作られなかったようです。
三代目・・・1199年に再建し、今日まで立つ続けている現在の南大門。(『仁王像大修理』を参照)