東大寺④ 大仏殿その1

奈良が大好き、キタローです。

南大門を抜けると、大仏殿が面前に見えてきます。東大寺の本尊、廬舎那仏(るしゃなぶつ)を祀る金堂です。現在の建物は江戸時代(約300年前)に再建された3代目で、国宝。世界最大級の木造建築物で、間口は約57m、奥行は約50m、高さは約48m。この巨大な建物を支えるために、直径1.0~1.6mの柱60本が使われています。

創建当時の大仏殿は、現在の大仏殿よりも大きかった?

「答え」 横幅は現在の1.5倍。奥行、高さはあまり変わりませんが、間口(横幅)は現在の大仏殿の1.5倍ほどありました。

創建当時の姿。東西に七重塔もあって、格好いい。

創建当時(奈良時代) 間口:約86m 奥行:約52m 高さ:約40m
現在(江戸時代再建) 間口:約57m 奥行:約50m 高さ:約48m

奈良時代にこんな大きな建物を造ることができたのは、驚きですね。

大仏殿はだれが造った?

「答え」 創建時の大仏殿は、猪名部百世(いなべのももよ)という新羅系渡来人の末裔が中心になって造りました。二月堂のお水取りで読み上げられる過去帳(東大寺に貢献があった人々の一覧)に、大工猪名部百世とあります。

直径1.0~1.6mの柱60本はどのようにして用意した?

「答え」 集成材で柱を作った。

現在の大仏殿に使われている瓦は通常建物の瓦の4倍の大きさで1枚の重量は約15kg、瓦の総数は約11万枚で瓦の総重量は約1,550トン、葺土等を含めた屋根の総重量は約3,000トンと言われています。

この重量を直径1.0~1.6mの柱60本で支えていますが、このような太くかつ長い木がなかったため、集成材を作りました。具体的には長さを4箇所継ぎで確保した心材の周りを捌木で桶状に囲み、鉄釘、鉄輪で固めています。トリミス集成材株式会社さんのHPにその仕組みが詳しく書いてありますので、関心のある方はこちらからご確認ください。

大虹梁2本はどこから調達した?

「答え」 宮崎県の白鳥神社に生えていた2本の赤松を使いました。

江戸時代に再建した大仏殿には、長さ23.6m、直径1mの梁が2本必要でした。白鳥神社から切り出した赤松は、1本目は長さ23.6m、元口1.3m、末口1.0m、重量23.2t、2本目は長さ23.6m、元口1.2m、末口1.1m、重量20.4tありました。この2本は切り出し後、1年近くかかって、奈良まで運ばれました。

屋根の両側にのる金色に輝くものは?

「答え」 鴟尾(しび)。

大仏殿の鴟尾は高さ約3.3m、重さ約1.8tです。鴟尾は魚の尾のことをいい、尾が水面から出ている状態は建物は水の中にあるということを表し、火災除けのお守りと言われています。大仏殿に入って左側奥に鴟尾のレプリカがあります。

                                         

「鴟尾」と「しゃちほこ」はどう違うのでしょう。鴟尾の起源は中国にあり、屋根に取り付けることで火除けや魔除けの意味を持たせる装飾として、漢代から使用されてきたとされています。日本では飛鳥時代から寺院建築に取り入れられるようになりました。しゃちほこは鴟尾と同じく中国に起源がありますが、日本に伝わったのは平安時代といわれており、火除けの象徴として城の屋根に取り付けられるようになりました。

大仏殿の観相窓から大仏の顔を拝観できるのはいつ?

「答え」  元旦および 8月13~15日

ぜひ、参拝しましょうね。特に、8月は、夕涼みにもなりますし、大仏様のお顔を遠くからも拝めますし、幻想的で、超素敵です。

夜の大仏殿
万灯供養会の大仏殿