奈良が大好き、キタローです。
八角灯籠を拝見したら、いよいよ大仏殿に入りましょう。
奈良の大仏さんは、ほんと、大きい。建機もなく、銅や金といった金属も潤沢には手に入らなかった時代に、これほど大きな仏像を作ろうとした情熱とその技術力にただただ驚くばかりです。また、二度の戦火で醜く傷ついたにもかかわらず、今日我々が拝見できる、拝むことができるのは、みんなが力を合わせて丁寧に修理し、守ってきたからに他なりません。昔の方々に感謝しかありません。
なお、現在の大仏さんは、台座付近が奈良時代、体部が鎌倉時代と安土桃山時代、頭部は江戸時代のもので、頭部と体部では色が違うことがわかりますね。
目次
大仏さんの大きさは?
台座:約3m
像高:約15m
顔:約5.3m 手:約2.6m 目・鼻:約1m 口:約1.3m 耳:約2.5m
重さ:約500t
螺髪(らほつ)の大きさと数は?
螺髪とは、仏像の丸まった髪の毛のことを言います。大仏さんの螺髪は以下のとおりです。
一個あたり
直径:約22cm 高さ:約21cm 重さ:約1.2kg
492個(現存483個)
子供の頭ぐらいの大きさですね。9個の螺髪はどこに行ったんだろう。。
大仏はだれが造ったか?
「答え」切り口を変えると、複数の答えがありますよね。
①聖武天皇(発案した天皇)
②国中連公麻呂(造仏長官)、高市大国(大鋳師)
➂行基(大勧進、人、物資、お金を集めた)
④大仏および大仏殿の建立に関わった260万人といわれる人々
労働力 2,179,971人
材木の寄進 51,590人
金銅の寄進 372,075人
計 2,603,636人 (出典:奈良教育大学)
大仏造立の詔の抄訳
三宝(仏、法、僧)の力により、天下が安泰になり、動物、植物など命あるものすべてが栄えることを望む。大仏造立に賛同し、協力する同志と一緒に、仏の恩徳をこうむり、ともに悟りの境地に達したい。天下の富や権勢をもつ私の力をもってこの像を造ることはたやすいが、それでは私の願いを叶えることはできない。たとえ一本の草、一握りの土でも協力したいという者がいれば、無条件でそれを許せ。
聖武天皇には「みんなで大仏を造って、みんなで幸せになろう」という精神が根底にありますね。実際は半強制的に徴発され働かされた正丁も多いし、東大寺に属する奴婢(奴隷的身分の人)として働かされた人々もいました。大仏を造っているより、生国で田を耕している方が本人も家族も幸せだったでしょう。令和の時代に「みんなを幸せにするために大仏を造る」と政府が言ったら、政権交代が起こりますね。でも当時は仏教が最先端科学であり医療でもあったわけで、為政者としてはすがりたいという気持ちは強かったでしょうし、みんなで幸せになろうというのは本心だろうと年齢を重ねるとともに思うようになりました。
澤田瞳子著『与楽の飯:東大寺造仏所炊屋私記』は、半強制的に徴発された人々や奴婢など被支配者階級の立場から見た大仏造立のことがわかるので、よかったらお読みくださいね。
大仏さんはどういう仏様?
「答え」正式名称を、廬舎那仏(るしゃなぶつ)または毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)といい、古代インドサンスクリット語のヴァイローチャナ仏を漢字にしたもので、その意味は光る仏。世界をあまねく照らす仏で、華厳宗のご本尊です。
大仏さんはいつ完成した?
743年 廬舎那仏造立の詔
745年 平城京にて大仏造立を開始
752年 大仏開眼供養(開眼師 菩提僊那) (※1185年の開眼供養 開眼師 後白河法皇)
大仏さんの脇侍を拝見しましたか?
向かって右に如意輪観音菩薩、左に虚空蔵菩薩が安置されています。ともに7mを超える大きな仏様です。江戸時代に大仏殿が再建されたときに、安置されました。重文です!
如意輪観音菩薩は富を与える如意宝珠と苦しみから救う法輪を持つ菩薩、虚空蔵菩薩は広大な知恵と慈悲を持っている菩薩。
学生さんは虚空蔵菩薩に勉学成就をお祈りしましょう。
※虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう) 虚空蔵求聞持法とは、虚空蔵菩薩の真言「のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか」を1日1万回ずつ100日かけて100万回唱えます。修行を成満した者はあらゆる経典を瞬時に理解して記憶する能力が得られるということです。空海は、高知の室戸岬の洞窟、御厨人窟(みくろど)に籠もって、虚空蔵求聞持法を修しました。
もし、これが今日でも有効で、瞬時に教科書が理解できて、記憶することができるなら、受験生は個々の勉強は横に置き、虚空蔵求聞持法の修行に打ち込みますね。
威厳のある大仏さんと優しい大仏さんのどちらが好きですか?
大仏に向かって、左側から見る大仏さんは威厳のある姿、右側から見る大仏さんは優しいお顔と思いますが、どうでしょう。手の見え方で雰囲気が変わるというのもあるのでしょう。
「目から鼻へ抜ける」の話
「目から鼻へ抜ける」とは、理解が速く聡明であるという例え。東大寺の大仏の目の修復中に体内に閉じ込められた男が鼻から脱出し、「目から鼻へ抜ける男だ」と称讃されたという話が由来ということですが、どうでしょう。本当かな?後講釈かな?
びんずる尊者
びんずる尊者は、お堂の外にお座りになっていて、赤い顔をしていたり、赤い衣服を着ていたりします。大仏殿のびんずる尊者は大仏殿出口を出てすぐ左の軒下におられますね。病気を治す力があるとされ、撫でるとその部位の病気が治るといわれていますから、ツルツルになっています。
大仏殿のびんずる尊者の難点は、大きすぎること。中高年はボケを防止するため、子供たちは頭がよくなるために撫でたいが、頭に届かない。。孫の手みたいなものを置くように東大寺にお願いしてみようかな。。
さて、びんずる尊者はどういう方でしょうか。お釈迦様の弟子である十六羅漢(ほぼ悟りを得た状態で、尊敬され供養される人)の第一で、神通力が強かった人ですが、神通力をみだりに用いたためにお釈迦様から叱られ、お釈迦様の入滅後衆生の教化を命じられました。このため、お堂の外にお座りになっています。なお、顔が赤いのはお酒が好きだったからとか。