奈良が大好き、キタローです。
大仏殿の北側にある正倉院について、ご案内します。
目次
正倉院とは?
756年に聖武天皇は亡くなられ、四十九日法要が終わったところで、光明皇后は天皇の遺愛品600点強と薬品を大仏に奉献されたのが始まりで、大仏開眼法要で使った祭具や東大寺の仏具なども含めて、約9000点を正倉院正倉に収納しました。
正倉院と正倉の違いは何?
「答え」正倉とは、重要物品を納める倉庫のことで、奈良・平安時代には、多くの官庁や大寺に設置されたていました。しかしながら、時代の経過とともに、いつしか亡んでしまい、わずかに東大寺正倉院内の正倉一棟だけが往時のまま今日まで残りました。
正倉院とは、 そういう倉があって、壁に囲われた地域のことをいいます。
正倉院正倉(国宝)の概要
創建:奈良時代(759年以前)
構造:高床式 校倉造り、板倉造り
内部:北倉、中倉、南倉に分かれ、屋根裏ありの二階建て。
北倉(校倉造り):聖武天皇ご遺愛品(勅封倉)
中倉(板倉造り):東大寺の儀式関連の品々、薬類(勅封倉)
南倉(校倉造り):東大寺の仏具類(僧綱、東大寺別当管理)
近くで見るとよくわかるのですが、大きく、潰れそうにない堅牢さと偉容さを感じます。まさに「ザ・倉庫」です。ここに収納されていた品々はどれも大切なものですが、中でも大切なものは北倉にて保管されていました。
宝物の一部
北倉の宝物
中倉の宝物
①五弦琵琶はインド起源の楽器で、この宝物は唐で製作された可能性が高いが、五弦琵琶としては世界唯一のもの。④はベトナムからラオスの山間部で採取されたと考えられている巨大な沈香(156cm 11.6kg) 足利義政、織田信長、明治天皇が一部を切り取り、お香として使った。⑤ペルシア(現イラン)原産のガラスの器。これだけきれいな器はイランにも中国にもない。
起源国や原産国、中継国では、いつしか亡んでしまったものが、最終到着点である日本では大切に保存されてきました。これが日本という国。こういう日本を誇らしく感じる人は多いでしょう。
1300年間、宝物を良好な状態で保存できたのはどうしてでしょう?
正倉院正倉では宝物が極めて良好な状態で保存されてきた大きな理由が、校倉造の特徴である優れた調湿機能にあるって、学校で習いませんでしたか?校倉造りは、湿度が高いときは木材間の隙間が締まり湿度の高い空気が倉に入ることを防ぎ、湿度が低いときは木材間の隙間が広がることで風が通り、湿度を一定に保つということでしたね。
ところが、重い屋根荷重がかかる壁に伸縮する余地はなく、調査をしても、そのような現象は認められませんでした。と、いうことで、
「答え」
①宝物は唐櫃で保存
②高床式倉庫内に唐櫃を保存 というダブルブロック
いうのが、良好な保存状態を作った理由だそうです。
杉の唐櫃での保存 ⇒ 温度と湿度の変化が緩和される、ネズミなどの生物の侵入を防止できる、外光や汚染外気を遮断できる、宝物が倒れても損傷が小さい
檜の巨大な高床式倉庫 ⇒ 堅牢、防食、適度な湿度、防生物
さらに、勅封制度によって、みだりに開封することがなく、手厚く保護されてきたことが一番大きい理由かもしれませんね。
現在は、どこで宝物を管理しているか?
「答え」1962年に鉄筋鉄骨コンクリート造りで建築された西宝庫内に、宝物を唐櫃に入れて保存しているそうです。西宝庫は、空調により湿度を約60%に維持し、活性炭やフィルターにて大気汚染物質の流入を防止しています。また、勅封管理をしており、決まった期間以外は出入りはできません。
正倉品宝物は国宝に指定されているか?
「答え」正倉は国宝ですが、正倉院宝物には、「国宝」は一件もありません。宝物は皇室財産で、国宝指定が適用されないのです。
正倉院展
毎年秋(10月~11月)に、奈良国立博物館で宝物の一部が公開されるので、鹿との戯れとともに楽しんでいただければ、いい一日になりますよ。